県立一般の倍率に思う・・・

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 こんにちは。

 先日チラッと書きましたが、倍率が発表されそれに関して思うことを少し書きたいと思います。

 以下は県立一般選抜の県下全体の倍率の推移です。1.17→1.15→1.20→1.15→1.15→1.14→1.13→1.13→1.10→1.03→1.03→1.04
見ての通り、近年ダダ下がりしてます。各高校の詳細は省きますが、おおよその傾向として、高志館や牛津、白石(商業科)など、どちらかと言えば実業高校の学力的には下の方の学校が低倍率傾向です。

 原因はおおよそ想像がついていて、公立高校無償化に伴う『私立高校の補助』ですね。私立専願の子が増えているのが原因だと思います。当然ながら、県立を受験しても合格できるか微妙なラインの子達の方が私立専願を決断する可能性が高いわけで、そういう子が受験するはずだった高校の倍率がダダ下がりしてるんですよね。

 これはかなりの問題だと思います。

 正直、佐賀西とか致遠館とか、県下でも上位の普通高は多少倍率が低くてもいいと思うんですよ。ソレっていうのは、仮に高校受験で競争がなくても、嫌でも大学入試で競争があるんで、勉強する機会があるんですよね。
 それに対して、下位の実業高校となると、『勉強する機会』って、人生における最初で最後のチャンスが高校入試になることも少なくないと思うんです。それなのに、早々に私立専願で決めてしまう。それに伴って県立を目指す子達も競争率が下がり、大した勉強を伴わずにラクに行けてしまう。これは本当に怖いことだと思うんですよね。

 

 人生勉強がすべてではないですし、学歴があったところで人生が保障されるわけでもありません。別に勉強が必ずしも得意になる必要はないと思うんです。苦手な子は苦手なりにでいいし、得意な子はどんどん磨きをかけていけばいい。ただ、何かを学ぶ「方法」だけは、早めに身に着けておいた方がいいと思うんです。ウチは中学生になって入塾してくる子が多いですが、大半の子は勉強の仕方を知りません。何かを覚えることだったり、教科書をノートに書き写すことだったり、問題を解いて赤で正しい答えに書き直すことが勉強だと思ってる。自分が知らないことを教科書や参考書を使って調べることもできない、できなかった原因が何なのか探ったり、次から間違えないように工夫したり、そういうことに頭が割けない。与えられたものを従順にこなすだけ。自分が本当にできるようになったか、自分が本当に理解できたのか、そういうことには一切気が向かないまま、目の前の問題集やノートが埋まることだけを目標にしてる感があるんですよね。

 学生を卒業し、社会人になっても別に「学ぶこと」は終わりません。会社で資格を取る必要性が出てくることもあるでしょうし、普通に生活していて政治や経済、はたまた趣味のスポーツやガーデニングなんかでさえ、深く知る必要性や欲求は出てくると思うんです。そういう状況になった時、果たしてこの子たちは、そういうことが独力でできるんでしょうかね。

 そして、なんでもそうですが、深く知れば知るほど楽しみは増えると個人的には思ってます。例えばゴルフが趣味なら上手になるために、人の体のつくりや動作に詳しい方が上達も早いでしょうし、テレビで観戦するのだって一味違った楽しみが増えるはずです。映画を見るにしても、歴史や事件により詳しい方が楽しめるジャンルは広がるでしょう。俳優や監督について詳しければ猶更ですね。

 小中学校である程度の土台の部分を勉強することで、様々な世界を知るんじゃないでしょうか。そして、そこで学習する内容は自分では決められない。決められないからこそ興味があることも興味がないことも一様に知ることができる。「無知の知」なんて有名な言葉もありますが、何も知らないからこそ、自分が何も知らないことに気づかない。つまり狭い世界しか知りえないってこともあると思うんです。大人が子供に教えてあげるべきことって「世界は広いぞ。お前はまだ何も知らないんだ。」ってことなんじゃないですかね。

 

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