「できない」と「できるけどやらない」は違う

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 発表が終わって、ホッとしてウトウトしてたら、なんかかなり時間が経ってました(笑)お久しぶりです。

 今日はタイトル通り、「できない」と「できるけどやらない」は違うってお話です。

 子供たちの口から、「こんなの使わないのにやっても意味ねー。」って言葉を聞くことがたまーにあるんですよね。僕に面と向かって言う子はいないですが、聞き耳たててると生徒同士の会話の中には、出てくることがありますね。

 どうでしょうか。将来的に使わないんだったらできるようになっておく意味は無いですかね?

 例えば、僕はもうかれこれ10年以上は泳いでないと思うんですが、幼稚園や小学校の時に頑張って、泳げるようになった意味って無いでしょうか?

 例えば、大人になって車の免許を取って以来、自転車に乗る機会もほぼありませんけど、自転車に乗れるようになった意味って無いですかね?

 そもそも「できない」っていうのと、いやいややろうと思えばやれるんだけど、「やらない」っていうのは全く別物だと思うんですよね。そして、何事であっても後者の方がいいと思います。「できない」は選択の余地なしですが、「やらない」は自らの選択、つまり選択肢としては存在してるんですよね。万が一川に落ちた時に、「泳げない」人は、選択の余地なし。誰かが助けてくれなけば死を待つほかありません。でも、泳げるけど普段は「泳がない」人は、命がかかれば当然必死になって泳ぐわけです。最近また地震が増えてますが、地震でライフラインが寸断されガソリンが手に入ら無くなれば、車には乗れません。でも、自転車なら(道路状況に寄りますが)乗れる可能性はある。それだけで、行動範囲は格段に変化しますね。

 今挙げたのは極端な話ですが、数学や英語だってできないよりはできた方がいいし、料理や洗濯もそうです。野球やサッカーだってそうですね。できないよりはできた方がいい。リコーダーを吹いたり、絵を描くことだって、できないよりはできた方がいいんですよ。そういう意味では、生きていて身についていくものって、本当に一切無駄なものは無いと思いますよ。

 特に最近は、プロと素人の垣根が曖昧になってきています。いや、個人的にはかなり明確に差があるものだと思ってるんですが、世の中的には「差がない」と認識されることが増えてますね。もっと言えば、「技術の価値」ってのが下がってきてるのかな。(まあ、この辺のことは長くなるので、また別の機会に書きますね。)

 インターネットの普及や様々なサイトの登場で、今は個人が家にいながら技術や製品を販売できる世の中になりました。例えばこういうサイトです☞ココナラ

 もちろんプロの方もいらっしゃいますけど、素人の方が結構多いんですよ。当然資格が必要なことに関してはやっちゃダメですが、そうでないことはおカネを出して買う人がいれば、契約は成立するんですね。(かくいう「塾」にしても講師なるのに必要な資格はありません。誰だって始めようと思ったら簡単に始められちゃいます。) ネットの普及・発展で、物理的な距離が大きな意味を持たなくなった側面が、こういう「マッチング」に生きてるんですよね。そういう世の中になってきてるので、今まで以上に、「できる」「やったことがある」「知っている」そういうことは、大きな意味を持つようになったんじゃないですかね。

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