無思慮の批判が最悪の結果を招く

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登校中に「なぜ学校に行くのか」 クラスター確認の佐賀工高生に中傷

 記事によると

佐賀県内の小中高校で初めて新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が確認された佐賀市の佐賀工業高で、学校や生徒に対して「なんで学校に行けるの」「どんな指導をしてきたのか」などの誹謗(ひぼう)中傷が寄せられている。 

とのこと。

 コロナのせいで抑圧された生活も1年になる。みんなストレスをため込んでいる。感情的になってしまう気持ちが全く分からないでは無いが、もう少し科学的な分別をもってものを言って頂きたいと思う。

 「なんで学校に行けるの」…そんなもの、濃厚接触はない(感染の可能性は低い)と判断されたからに決まっている。しかも、それは学校単体の判断ではなく、県下初の学校クラスターなのだ、保健所や県を通して専門家の助言や判断も加味されているに違いない。

 「どんな指導をしてきたのか」…(もちろん学校側のこれまでのコロナ対策に反省すべき点があったかもしれないが)100%確実な対策なんて無い。この誹謗中傷してる方々は、きっと自分は絶対に罹らないと信じ切っているのだろうか。どんなに気をつけたって、1人っきりで家に引きこもって一切出ないとかでもしない限り、罹患の可能性は0ではない。マスクをしても、手指消毒をしても、換気をしても、罹る時は罹る。

 引用記事でも

人権問題を研究する佐賀大教育学部の吉岡剛彦教授(法哲学)は「感染した人をウイルスと同一視する傾向がなかなか改まらない」と指摘し、「誰が感染してもおかしくない状況で、自分が攻撃対象になる可能性もある。自分事として捉えてほしい」と警鐘を鳴らす。

と締められている通り、感情的な攻撃は、自分の身に及ぶこともある。

 それにだ、一番大事なのはここで、こういうことが続くと「正直者がバカを見る。隠した者の方が得をすることになる。」

 これまでの傾向から考えても、若い世代は感染しても無症状もしくは軽度の症状のみ。多くの人にとっては風邪程度のことなのだ。こういった誹謗中傷を恐れて、隠したまま通勤通学を続けることだって不可能ではない。それをやる者が増えれば、今以上に爆発的な感染をもたらす。誰も得をしないのだ。

 感染の可能性がある者がきちんと病院や保健所に相談に行き、感染者の出た企業や学校が正直に申し出るから、濃厚接触者の認定→PCR検査という流れがスムーズにいってるし、それによって多くの感染が未然に防がれている。

 みんなが自由にモノを言える世の中になることは決して悪いことでは無いし、何か悪いことをした時には批判に晒されるのは仕方のない部分もある。しかし、コロナ感染は悪いことでも無いし、科学的根拠に基づいた対応にまで批判が起こるのはおかしい。自由をはき違えた、個人の感情に流される無思慮な人たちの自分勝手な誹謗中傷は、「隠蔽」体質を生むだけだ。隠さず膿を出して反省し改善していく、そうしないと、世の中も、人も、組織も、良くはなって行かない。

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