安全⇔危険 安心⇔不安

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 人間ってのは、『安全か危険か』という基準よりは、『安心か不安か』という基準を優先してる気がする。

 今朝「駅前PCR検査」とか「郵送PCR検査キット」とか、そんなのの特集をやってた。大人気で予約で一杯らしい。駅前PCRの方は2000円くらいでやってもらえるんだけど、陰性証明書の発行は別途5000円だか必要とか、当日発行なら10000円近くかかるとか・・・うろ覚えだけど(笑)

 佐賀とは違って、東京とかの話なので通勤通学の折にってことで「駅前」なんだと思うけど、インタビュー受けてた人は「遠方への出張の前に受けたい。陰性証明書があれば先方も安心できる。」なんてことを言ってた。

 個人的には、このケースの陰性証明書って意味は無いと思う。例えば、朝検査を受けて、夕方陰性証明書を受け取り、次の日の朝新幹線に乗って、昼過ぎに出張先に着いたとする。で、取引先の人に夕方渡す。コレって陰性証明書が相手方に渡った時点で、検査から丸一日経過してるのよね。その間、普通に電車で通勤したり、買い物や食事で店に行ったり、新幹線や駅等々、結構な感染の可能性を通り過ぎて来てるのよね。細かいって言われそうだけど、厳密に言えば検査を受けた瞬間が陰性だっただけに過ぎない。結局、「安全」を保障するものでは無くて、少しの「安心」を担保する程度のものなのよね。でも、世の中には症状も無いし、コロナに感染してるとも思わないケド、PCR検査を受けたいって人は大勢いる。そういう人たちは「安全⇔危険」って尺度ではなく、「安心⇔不安」って尺度で動いてるってことだし、「安心」を買いたいんだよね。

 同じような話は受験生にもある。模試やテストの結果を見て、どう考えても「安全」って子が「不安」って理由でガンガン勉強する。逆に明らかに「危険」な子であっても、本人に「不安」が無く、”万が一にも自分に限って落ちることはない”って「安心」しきってる場合、勉強はしないんだよね。周囲は不安で不安でしょうがないんですけどね・・・

 どちらのケースも心情としては、十分に理解できる。自分も「まあ、昨日時点で陰性なら大丈夫だろう」と思うし、「万が一自分に限って落ちるはずない(要は自分が落ちることなんて想像がつかない)」と思っていた。うん。心情としては理解できるんだ。でもね、それと同時にソレって結構危険な話だとも思う。
 たった1日かもしれないが感染する可能性があるという『事実』や、テストの結果という『数値』という『客観的』なものよりも、自分自身が『不安』に感じているとか『安心』できるといった『主観的』なものを優先してるってこと。多少損する程度なら別に問題ないだろうが、本当に命の危険が迫った場合は当然のこと、人生を左右するような決断にあたっても、「主観」に頼り過ぎるのは危険だ。不安とか安心とか、そういう『主観的な気持ち』を抱くこと自体は仕方のないことだし、避けようはない。ケド『客観的情報』を優先するように心がけたいね。(そしてそういうことってのを数学を勉強する中で身につけてんじゃないかな)

 

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