再現性

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 数学の図形の分野とかって、割と正確な図が多いので『当てずっぽう』で書いても当たっちゃうんですよね。特に角度なんて、書いてある数字を足すか、引くか、あとは180度から引くか、それ位で答え出ちゃう問題も少なくないんで、図まで加味すれば、分かってなくても問題には正解し続けるってことも可能なんですよ。

 で、実際そんな感じの出し方をする子は例年います。まあ、百歩譲ってテストの時は「評価」ってのが、目先にチラつくわけで、当てずっぽうでも正解を目指すってのも理解できない訳じゃないんですが、「評価」なんて一切されない練習の場でも結構やりよるんですよね。

 この正解って意味ありますかね?

 大事な事なんでもう一回

 当てずっぽうの正解って意味ありますかね?

 そんなものは意味無いですよね?だって、本当に「評価」されちゃう場面のテストにおいて、その当てずっぽうでの正解は、再現できる保証がありますか?ないでしょ?

 この話になると、僕は語気を強めるので、怒られてるって勘違いしてる生徒もいると思うんですが、別に起こってるわけじゃなくて、これって非常に大事な事で、分かって欲しいんですよ。

 スポーツでも楽器なんかでもそうですけど、何で反復練習するんでしょう?理由は「いつでも再現できるように」じゃないですか?勉強だって同じですよ。

 「勉強してるのに成績上がらない」って子は、ほぼ例外なくこの「再現性」を無視した勉強をやってるんですよね。もったいないよね。せっかく努力してるのに、わざわざ成果の出ない方法を採用しちゃうんですから。

 どんな状況だったら、どの角からどの角を引けばいいのか、ここが理解できてて初めて再現性を持ちますよね?そこを理解して、問題の条件を見て、どれを使うか、ここで使えるか否か、その判断ができる、ってのが本当の意味での「できる」って状態だと思うんです。ここまでくれば、仮にテストであっても、おおよそどれくらいできるかって想像つくでしょうし、その予測が大きく外れることは無いでしょう。目指すべきはココなんですよ。

 練習の段階でのマルかバツは、別に評価の対象でもなんでもないんです。正直どうだっていい。問題は再現できる状態になったかどうかでしょ。これを分かってすすめないと、勉強すれどもすれども結果は出ず、だろうし、他のことにしても上手くいきませんよね。

 語気が強まるワケが伝わればいいな。

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