なんか違う

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ウチの学校では、友達をあだ名で呼ぶことは禁止します。

男女同権の観点から、男の子も女の子も〇〇さんと呼びましょう。

 なにやら☝のような学校が増えてきていると、ネットで話題になってました。

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 記事にもあるように、身体的特徴からあだ名がつくことも少なくないので、イジメにつながると。傷害や恐喝として立件されるべきいじめも、端を発するところは、「言葉」だったりする。相手を侮辱するような呼び方や発言が、徐々にエスカレートし暴力などに発展する。その点で相手の嫌がるあだ名で呼んじゃいけないというのは、まあ分かります。自分の過去を振り返ってみても、今考えると結構ひどい呼び方をしていたことにも思い当たります。

 だからといって、「一律禁止」はなんか違うと思うんですよね。

 まずは、「いじめ防止ってそういうことなん?」ってところ。あだ名を禁止したところでいじめが無くなるとは思えません。いじめの根本って「自分との差異の否定」ってとこじゃないですかね。昔からの定番の「チビ、デブ、ガリ」なんて身体的特徴を揶揄する表現って、(俺と比べて)チビだし、(俺よりも)デブだし、(みんなと比較して)ガリな訳ですよ。自分や自分の周囲にいる人間との差異を否定するところがスタートだと思うんです。世の中いろんなところで「多様性」なんて言ってますが、その同じ口で「外国人労働者が~」とか「○○人が~」って言うわけですね。それって言うのが、もっと狭い範囲で行われてるのがイジメでしょう。学校に限らず、会社でも、地域でも一緒ですよね。子供の内は身体的特徴って単純なものから、出自や性格、考え方の方向性など範囲は広くなれど、要は「自分(たち)と違う」ってことをネチネチやるわけです。もしかすると島国という地理的要因や、これまでの歴史的要因もあるのかもしれませんが、世の中全体として「自分(たち)と違う」ってことに対して認めていかなきゃいけないし、認められないにしても頭ごなしに否定するってことは止めなきゃいけない。子供たちにもそういうことを教えなきゃいけないんだと思うんです。そこに「一律禁止」ってのは、なんだか逆行してるように感じるんですよね。まさに思考停止でアレはダメ、コレはイイってやつの典型じゃないですか?

 

(そもそも、ルールって少ないに越したことないと思うんですよね)

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