昨日の授業終わり「いつもは1時間目に眠くなったりするんだけど、今日はなかったなー。時間立つのが早かったぁ。」とつぶやいた子がいた。
前回だか前々回だかの授業で、結果の出揃った定期テストの振り返りをして、「テスト前の勉強の進め方ももちろん大事だが、実際のところ1週間前の段階である程度の決着はついている。普段の授業でいかに理解し身につけるか、コッチの方がよっぽど影響は大きい。学校でも塾でも、まずは授業にしっかり参加しなさい。」そんな話をした学年。
昨日はしっかりと参加出来ていた。それが眠くならなかった理由だろうし、時間が経つのが早かった理由だ。
授業に参加するとはどういうことだろう。例えるなら、選手として試合に出場することが「参加」だろう。自分のところにボールが来なくても、周囲の状況などから考えを巡らすだろう。同じように、自分が指されようが指されまいが、自分事として考えなきゃいけない。ときには、手痛い失敗し悔しい思いもあるだろう。同じように、みんなの前で間違った答えを言ってしまい、(実際は何も恥じることはないが、彼らにとっては)心に痛みを感じることもあるだろう。難しいこと辛いことに立ち向かって挑戦しているからこそ、勝利の喜びは格別だ。自分事として必死に考え、やったからこそ敗北の悔しさもある。勝つにせよ、負けるにせよ、結果を直接受け取ることができるのは、参加者たる選手だけである。
授業時に教室に存在したとしても、それだけでは「参加」とは言えない。言うなら「観戦」かな。観戦者も応援する選手と一体かのように、喜び涙を流すかもしれない。しかし、メダルを授与されることもなければ、記録に自分の名前が刻まれることもない。あくまでも選手に心を重ね、疑似体験しているようなもの、結果を受け取ることはできないのだ。
常に自分事として考えよう。その場で理解するつもりで話を聞こう。「大事なことは何か」考えメモを取ろう。分からないことはその場で訊いて解決しよう。いきなり全部ができなくてもいい。まずは意識を変え、一つずつできることを増やそう。そうすれば観戦者から出場選手になれる。
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