生徒たちの演習を見ていると、何とも悩ましい現象にちょいちょい出くわします。
「なんでソレは分かって、コレは分からんの???」
ほぼほぼ同じ問題なのに、何故かソッチはできて、コッチはできない…分かってる人間からすると同じ問題にしか見えないんですが、彼らには違う問題に見えてるんですよね。この『違う問題に見えちゃう』問題って、どえらい大問題なんですよ。
極端に言うなら、彼らにとっては100問あったら100通りの解き方を覚えちゃわなきゃいけないってことなんですよ。そりゃあ、途方もない時間がかかりますし、果たしていつ終わり切るのか…この『違う問題に見えちゃう』問題、解決できないと勉強のコスパが非常に悪いんですよね。
じゃあどうやって解決すんの??って話なんですが、正しい1つの答えが僕の中にあるわけでは無いんですけど、要するに一般化(抽象化)の訓練をするしかないと思います。
机の上に、キャベツ、にんじん、ジャガイモ、ピーマン、玉ねぎ、ほうれんそう、白菜が置いてあるのを見て、いちいち「机の上に、キャベツ、にんじん、ジャガイモ、ピーマン、玉ねぎ、ほうれんそう、白菜が置いてある。」って説明はしませんよね?「机の上に野菜が置いてある」で説明がついちゃいますもんね。要はこれと同じことなんですよ。キャベツとにんじんは、厳密に言えば全く別のものですけど、少々枠を広げて解釈すれば同じものとみなすこともできるわけです。これが一般化(抽象化)です。数学でも英語でも、こういうことを頭の中で考えられるかってことなんですね。
例えば、英文にplayが使われてようがstudyだろうがhaveだろうがmakeだろうが、『一般動詞の文』と言っちゃえば同じな訳です。「一般動詞の文は先頭に主語があって、次に動詞があって、目的語がある」例外は多少あれど基本形は同じです。それをいちいちplayの時はこうで、studyの時はああで・・・ってやってたら大変ですよね?こうやって一般化していけば覚えなきゃいけないことは格段に減らせます。ただし、重要なことが一点。それはグループ分けの基準を正確にしておくこと。「一般動詞の文は…」と書いた通り、be動詞の文だと少々ルールが違います。これを正確に分ける必要性が出てくるんですね。『違う問題に見えちゃう』問題を抱えている子達を見てると、このグループ分けの判断基準が曖昧な子が多いんですよね。その場の雰囲気と勢いでやっちゃってる感が強烈なんですよ。
少々話が逸れましたが、昨日も中3生がものの見事に『違う問題に見えちゃう』症状に頭抱えてたんです。中学生くらいになっちゃうと「ルールの明確化・運用の徹底」と「相違点探し」を常日頃から繰り返すしかないと思うんですよね。こういうことに頭を使うってことが習慣化出来てないので、もう毎回意識してやり続けるしかないですからね。授業ではそういうことをよく話してます。「俺はココ見てこっちの方法で解こうって決めてる。」とか「コレ自体は習ってないかもしれんけど、ココこうしたらさっきのと同じものに見えない?」とかね。中には、「アンタの考え方なんて興味無いんで、それよか答えと問題の解き方教えてよ。」って思ってる子もいるかもしれないですけど・・・100通り覚えるつもりで、勉強量だけを増やしてゴリ押しするのだけは避けなきゃいけません。それは1日が24時間で、先々難易度が上がり量が増えていくのが分かってる以上、詰むのが見えちゃってる方法なんで。
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