何事にも濃淡や強弱というものがあってだな・・・

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 クラスの全員へ向けて、とある注意をしたとすると、その受け取り方はまちまちで、自分事として真っ正面から受け止める子もいれば、自分とは関係のない他人事として話をよけてしまう子もいる。

 えてして、現時点で出来ていて、その注意が必要のない子は真っ正面から受け止め、全く出来ておらず、本当に必要な子がよけてしまうものだ。

 まずはこの『自分事として受け止める』ってのが第一関門なのだと思う。普段から親であれ、学校の先生であれ、友達であれ、誰か他人に言われたことを、真っ正面から受け止めることをしていれば、悪いところは、それなりに修正されていくだろう。上手く修正できないにしても、ソレに関して注意深くはなるだろうし、考えるはずだ。

 

 そして次のステップは、話の濃淡。誰が話すにせよ、どんな話をするにせよ、話には大切な幹の部分と些末な枝の部分がある。それを人は話すときに、話す速度だったり、声の大きさだったり、表情だったりで表現している。それはドラマやマンガ、スポーツの試合に「山場」があるのと同じことだ。「大事だよ」と言わなくても、そういう部分に滲み出ている。それをうまく受け取らないといけない。

 1から10まで全てを集中して聴き、なおかつ忘れないのであればいいが、そんな難しいことは、普通なかなかできない。そうであるなら、自分の集中力にも濃淡をつける必要がある。肝心かなめは聞き逃さない、相手が一番伝えたいことは聞き逃さない、それが大事になってくる。

 どんなクラスにも1人はいるような、授業中ボーっとしてたり寝てたりするのに、成績の良い子は、これが上手いことが多い。聴いてないように見えても、肝心なところはちゃんと聴いている。逆に顔は常に上がって前を見ていても、聴いていない(聴けていない)子は、おそらくコレがヘタクソだ。話の中から得た情報が多過ぎて処理できなかったり、記憶できていないのだろう。

 まずは「話に濃淡がある。」ということを意識して聴いて欲しい。

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