何でも一緒やで

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久しぶりに髪を切ってきた。2か月振り?こんなに短く切ったのは、1年以上振りな気がする。頭が軽くなった気がする。中身じゃなく外身ね(笑)

髪を切ってもらう間、だいたい雑談してるのだが、今日ふと気になって訊いてみた。

「自分の思った通りに切って、ホントにその通りに仕上がるようになったなって思ったの、美容師始めてどれくらい経ってからですか?」

「う~ん…独立を考え始めた頃かなぁ。その頃にようやく今までアドバイスされたことが分かってきましたね。アシスタントやってるような最初の頃はウンウンって聴いてて分かってるつもりでも、何も分かってなかったです。何も考えてなかったですからね(笑)自分で考えるようになって、ようやくアドバイスの意味が分かりましたから。その後でしょうね。」

ホントになんとなしに訊いたことだったのだけど、コレって真理だなと思う。山本五十六の有名な言葉に、『やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ』って言葉があるが、これは指導者や上の立場の人間が下の立場の人間を指導する場においての格言だ。逆に習う立場の人間はこうじゃないだろうか『聞いてみて、やって試して、考えて、さらにやらねば、血肉にならず』

何となくアドバイスを聞けば分かったつもりになるが、それだけじゃダメで、自分で試してみなくてはいけない。さらに上手くいかなかった原因を探ったり、一つ一つの手順の意味を考える。そこで実践を重ね、初めて体の一部のように「使える」技術や知識となる。これは髪を切る技術でも、家を建てる技術でも、スポーツでも、音楽や芸術でも、勉強でもなんでも一緒だ。

例えば同じ一つの競技の名コーチと呼ばれる人たちも、全く同じことを言ってるわけではなく、時には正反対のことを言ったりする。そしてそれぞれに選手を大成させている。これは合う合わないといったこともあるだろうが、結局はどちらの場合も、その指導内容について深く考え実践し極めれば、一流になれるということなのではないだろうか。どちらのコーチについたところで、うまく真似てみたところで、自分の頭で考える部分が無ければ上手くはいかないのではないだろうか。同じ競技のトップ選手も賞賛するような美しいフォームも真似するだけではダメだろう。いや、何故そうするのか、何故これではダメなのか、そういうことを考えながらやらなければ、きっと真似さえできないのだろう。

ただ手順を覚えただけのようなものは使いこなせるとは言えない。簡単なものなら、それでも通用するかもしれないが、限界が見ていている。「何故、どうして」を自分の頭で考えることが大切。

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