2種類の「面倒臭がり」

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 人間なんて本来誰だって、面倒臭がりなものだと思う。今日はそんな話。

 学習面に関して言えば、勉強できる子には面倒臭がりが多い。彼らが勉強ができる理由の一つはこの面倒臭がりな点なのだと思う。

 これから「先」の自分が面倒なことにならないように、手間がかからないようにと、アレコレ考えながら問題に向かっているし、話を聴いている。アレコレ考えながら問題に向かってるから、教えてもらってないような解法を思いついてみたり、後々のことを考えながら聴いてるから、新しい(ラクできる)方法に飛びつき、サッサと身につけてしまう。彼らは理解することが一番の近道だと分かっていて、理解に努め、安易に丸暗記に逃げたりしない。そりゃそうだ。丸暗記なんて一番シンドイ。試しに適当な10ケタの数字の羅列を5個ばかし覚えて欲しい。そして、明日の今頃、それを紙に書きだしてみて欲しい。上手くいかないことは想像に難くない。

 

 そして、勉強が苦手な子にも面倒臭がりが多い。彼らが勉強が苦手な理由の一つも、この面倒臭がりなことだと思う。

 彼らの場合は、「今」の自分が面倒じゃないように、ラクできるように行動している。聴いて理解できるかできんかも分からん話を聴くほど暇じゃないし、理解できなくても覚えりゃ済むと思っている。テスト前に詰め込めば、それなりの形にくらいはなるものに、今の時間を割きたくない。新しいことを習っても、今までの方法が使えるのなら今までの方法で十分。こんな風に考えているのだろうなというのが、行動の端々に出ている。

 中学生の1学期数学は、どの学年も計算単元が中心なのだが、こういった単元こそ、ラクする方法はいくらでもある。しかし、そのためには新たな方法を身につけなければならない。それを嫌う子が一定数いるのが気にかかる。

 「今まで通りの方法でもできない訳ではないが、この方法の方が後々、計算が複雑になった時には、かなりラクできます。今の簡単なうちに使いこなせる様に練習しておいてください。」こう言ったあとの行動がキッパリと2つに割れる。ソレって言うのがまさに上記の2つの「面倒臭がり」の違いなんだと思う。

 例えば「かけ算」は仮にできなくても「たし算」で代用できる。

〇〇〇〇〇〇〇〇
〇〇〇〇〇〇〇〇
〇〇〇〇〇〇〇〇
〇〇〇〇〇〇〇〇
〇〇〇〇〇〇〇〇

 さて〇はいくつあるだろうか。これは1.2.3.4.5….と数えていっても出せてしまう。そして5+5+5+5…もしくは8+8+8…とたし算でも出せる。しかし、普通は5×8もしくは8×5で40個出すだろう。なんてラクな事か。九九さえ覚えていれば、考えるまでもなく一瞬で出せてしまう。しかも正確に。

 コレと同じような事なのだ。後々ラクするために、今ちょっとだけ苦労して新たな方法を身につけるということは。小学校の高学年以上で、「足し算の方がラク!」「数えた方が早い!」なんて子はいないだろう。でも、この九九でも小2当時には「足し算でいい。かけ算面倒臭い。」と言う子がいるのだ。

 先の面倒を避けるために、今のうちにチョットだけ面倒を受け入れる。面倒臭がりはそうあった方がイイ。

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