春に続き、夏の甲子園大会の中止が決定されましたね。
インターハイ中止が決定した時以上にマスコミは騒ぎ立て、球児達の涙が世の中を駆け回ってます。コメンテーターも一様に「何か彼らのためにできないのか。代わりとなる大会を。」みたいな論調です。・・・批判もあるかもしれないんですが、アレを見てると???なんですよね。

高校球児に限らず、部活動をやってた子達にとってみると、最後の大会が開催もされることなく終わってしまうということに関して、彼らには何の落ち度もなく、彼らがこれまでの人生の目標だったものを急に奪われてしまったことは、辛いことだと思います。その点に関しては本当に可哀想だなと思いますよ。
それにしてもですよ、本人に何の落ち度もなく目標たるものが急に目の前から消えて無くなってしまうなんてことは、世の中にありふれてると思うんですよね。別に今回のコロナ関連に限ったことでは無いでしょう。突如、交通事故で両親を失った交通遺児の中には、部活動どころか高校さえ通えない子もいるんじゃないでしょうか。病気で体の一部を失い、これまで人生をかけてきた競技を奪われた選手が世の中にはたくさんいるんじゃないでしょうか。知らないだけで割とありふれた話だと思うんです。それをあまりにもマスコミが取り上げ、騒ぎ立て過ぎてるんじゃないかと思うんです。マスコミだけじゃないですね、日本人の性質としてお涙頂戴の、相手の心情に寄り添うようなお話が好き過ぎると思うんですよ。「感動ポルノ」なんて言葉もありますが、今回の件もそれに近いものを感じます。
コロナ感染拡大防止を目的として大会の中止を決めたのに、球児達の心情を慮って、代替大会を開催する?もはや意味が分かりません。本末転倒じゃないですか。心情は理解しますが、ちょっと違うと思います。
不運としか言いようがない彼らに、何とか心の区切りをつけて、前に進んでもらいたいという気持ちは僕にもありますが、それを煽り立て、ムーブメントのように仕立て上げ、大人の力で作りこんでいくのも、そんな作られたムーブメントに乗っかって、軽々に「彼らに何か救いを」と発言するのもなんか違うと思うんです。
さらにですね、これも問題だと思うのですが、主要な大会が中止されたことで、「人生が狂った。プロへの道が閉ざされた…」的な特集記事なんかもネット上では散見されます。これに関しては本当に本人たちの発言なのかさえ、怪しい部分はありますが、「はあ?」以外の感想はありませんね。
僕は職務上、毎年その子の人生を左右するような場面である「入試」に立ち会うのですが、例えば入試に失敗して「人生が狂った…」なんて子がいたら一喝するんじゃないかと思います。そんな場面に出くわしたことは無いのですが。
自分が思い描いた通りに人生が進んでいく人なんていませんよ。そこには才能の壁、今回のような不運、生まれ育った境遇、社会情勢・・・などなど、様々な要因があります。例えば、佐賀の地に生まれ、家がさほど裕福ではなく、地元の大学にしか通えないとなった時点で、東京のテレビ局のアナウンサーになることは限りなく難しいでしょう。それは各局のアナウンサーの経歴を見れば一目瞭然です。だからといって、自分の境遇や親の稼ぎに対する恨み言を言っても何も変わりませんね。可能性があるとすれば、現在の境遇の中で東京でアナウンサーになる方法を探り、実践することですよね。優秀な成績を修め返済の必要のない奨学金をgetする。不動産情報なんて佐賀にいても簡単に手に入るんですから、安アパートを探す。いくらでもやれることはあると思うんです。
本気でプロ入りを目指すのなら、大会が無くなったことへの恨み言を言ってる暇も、うなだれてる暇もないはずです。そんなことをやってる間に勉強して、大会で活躍してスポーツ推薦で行くはずだった名門大学を目指せばいいじゃないですか。他の社会人チームや大学野球部のことくらい調べましたか。やれることはたくさんあると思いますよ。
人間とは弱い生き物です。僕自身、我欲に負け、誘惑に負け、諦め、挫け、生きてきました。弱いと分かっているからこそ、強くなろうとしなきゃいけないし、逃げたり挫けたり助けを求めたりするのは、最終手段です。逃げるな!挫けるな!助けを求めるな!と言ってるんじゃありません。自分が壊れてしまいそうだと思えば、容赦なく逃げましょう。でも、いつも逃げ腰で他力本願じゃ、幸運の女神は微笑まないでしょうね。目の前で道が閉ざされたなら、別の道を探ればいい。何も道はたった1本ではありませんから。
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