学校再開後の心配

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 コロナ騒動に伴う公立学校の休校。佐賀県ではようやく解除となり、(またいつ再度休校になるかもしれないが、一応は)登校が再開された。この3月、4月、5月と続いた休校はどんな影響を残して去っていくのだろうか。少し考えてみた。

不登校の増加

 これはかなり初期段階から言われてきたことではあるが、この不登校にはいくつかのパターンがあると思っている。

①悠々自適生活から脱却できない

 保護者が一番恐れているのはこのパターンだろうか。

 この休校期間、親が同じく休業になり、もしくは在宅勤務となり自宅にいたご家庭は、この心配は少ないかもしれない。しかし、子供だけが長時間、家にいた場合、そこはパラダイスだ。マンガ読み放題、ゲームし放題、YouTube見放題…それをタップリと味わい、なおかつ遅寝遅起きが習慣化されてしまっていたならば、学校はそれはそれはキツイだろうと思う。小学生は普段の夏休みだって似たようなものなので、それほど心配ないのかもしれない。しかし中高生においては部活すらない完全なる非日常。抜け出すのが難しい子が出てくるのは容易に想像ができる。

②学校不要説

 僕がちょっと気になる(心配してる)のは、この休校中に自宅で真面目に勉強していた子達の方だ。この休校中、割と規則正しい生活ができ、なおかつ学力優秀で、自宅で一人でサラサラと予習さえできてしまった子達にとって、学校・先生は不要とも思えてしまうのではないかという危惧だ。

 とあるマンガにこんなニュアンスの言葉が登場したのを思い出す。クラス運営は、真面目な子達の犠牲の上に成り立っている。

 そのマンガの中では、いわゆる問題児に担任が躊躇なく手をかけられるのは、真面目な子達が先生に手(目)をかけられないことを承服しているからだ。といった話だった。
 この休校中、ウチでも息子と娘のママの取り合いが一段と激しさを増していたが、本来子供というのはそういうものだと思う。本当は手のかからない子達だって、手をかけて欲しいのだ。自分を見て欲しいのだ。しかし、それをグッと堪えてくれるからこそ、別の部分に力を注げる。

 マンガでは生活面の話であったが、これは授業中(学力に関する部分)にだって当てはまる。要は中間層~下位層をターゲットした授業を行えば、当然、上位層は退屈する時間があるハズなのだ。そしてそれはおそらく公立の学校では、極々当たり前の日常である。これに薄々は気づきながらも、日常として受け入れていた上位層の生徒たちの中には、この休校で気付いてしまった子がいるのではないだろうか。自分には学校・先生の授業は必要ないと…

 いや、当然ながら学校の役割は何も勉強に関することばかりではない。なので、授業がなくても自分でやれるからといって、単純に『ガッコウイラナイ』にはならないのだが、そう勘違いしてしまうケースは出てくるんじゃないだろうか。

 この辺りは主観なので非常に難しいが「学校で得るものが無い」と感じれば、行く必要性はなくなってしまう。その「学校で得るものが無い」には様々なバリエーションがあるというのは考えた方がいいだろう。

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