テストならまだしも、普段勉強するにあたって『勘』を駆使するのは、百害あって一利なしだと思ってます。

『勘』って言うのは、サイコロ転がして答えを選んでるようなもの。そこには根拠も理解も何もない。それでも2択問題なら50%、4択問題なら25%は正解してしまいます。さて、この正解の意味とは???
根拠をもって答えた結果の正解は、その問題の基にある論理の理解、またその論理の活用ができるということの確認になります。それは言い換えると「再現可能」ということの証拠です。同じ論理を活用すれば、いつどこでやっても同じ答えが導き出されるってことですからね。
しかし、『勘』で答えていた場合、論理の理解も活用もそこには無いわけで、「再現性」は全くありません。ということは、次同じ問題に正解できないってことですね。それって意味ありますかね?
中2、中3の2学期数学で、角度の問題が出てくるのですが、角度の問題って計算問題なのに割と勘で合っちゃうんですよね。角度が2つ書いてあれば、足すか引くか、1つしかないなら180度から引くとか、2倍、1/2倍とか。計算自体が簡単な上に、かなりやることが制限されているんですよ。結果として誰だって2回も間違えると3回目には分かってなくても正解しちゃう。全然理解できてなくても問題集にマルが並んでいくんですね。「何問か並んでる問題にマルはついてるものの、この問題の間違え方コイツきっと分かってへんぞ。」って内心思えるような時もあるんですね。そういう場合、突っ込んで質問しますね。生徒からするとチョー面倒臭い展開でしょうね。
いつも言ってることですが、何をやるにも「目的」は忘れちゃいけませんね。今問題解いてる目的は、理解や定着を図り再現できるようになることのハズなんですけど、いつの間にか、マルがつくこと、問題が解き終わること、にすり替わっちゃうんですね。そうなっちゃうともはや勉強してること自体が無駄だと思うんです。だって、やってもやんなくても一緒でしょ?どうせ理解できてないから賢くもなってないし、再現もできないんだからテストもいまいちだし。それって家でテレビ見てても一緒でしょ?もったいなくない?
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