人を見て変えてます

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 タイトルの字面を見ると何だか、差別?えこひいき?と連想されてしましそうな感じもするが、ごく当然のことと思っている。

 例えば、小学生の公倍数。「7と8の公倍数なんだ?」と問われて止まってしまう(5秒以上かかる)ようなら、「7の倍数と8の倍数を順に書き出してみようか。」とアドバイスする。なぜなら、公倍数の意味からアヤシイor九九がスムーズに出て来てない、このどちらかの可能性が濃厚だから。

 そう一つ上の段階。九九に出てくる公倍数くらいはスムーズに出てくるこの場合。今度は書く量を減らすようなアドバイスをする。例えば、6,15,9という3つの数字の公倍数を求めなくてはならない場合、まずは2つの最小公倍数(書き出したりひっ算せずに出せる2つがいい)を求める。その後もう一つの数との公倍数を考える。ここでは最初は書き出しもやむを得ない。
 他にも15の倍数は必ず一の位が0か5になる。ここへのヒントを与えるのも手だ。そこに気づければ、6と9に注力できる。

 この辺りまでサクッと進めてしまうなら、最後は例えば63,54,24の最小公倍数といった、書き出すのも厄介だし、かといって暗算だけでは苦しいケタの大きな数で「連除法」など通常は小学校では習わない方法も教えたりする。(ここでは連除法の説明は省く。気になる方はググってもらえればいくらでも出てくるはず。)

 その時点で身についているものが違えば、当然まず身につけて欲しいことも違う。ソコが違う以上は、個人個人に与えるアドバイスも指導も変化して当然だ。他にも自分で考えることが苦手な子、諦めの早い子には、アドバイスまでの時間を長くとったり、質問に答えさせる形でヒントを与えたり。逆にある程度のところまで自力で考えていることが目に見えて分かるようなケースでは、足りないものをポンと1つ指摘してみたり。

 単純化して言っちゃうと、できることの少ない子の方が、細かい指示(指導とかアドバイスでは無く)が多くなりがちかな。「ヒントだけね。」とか、「もっとちゃんと教えろや!」って子もいるかもしれないが期待の表れ以外の何物でもない。「教えるまでもなくコイツならできる!」と思ってるからヒント止まりだし、何ならヒントもあげたくない。(ツンデレ)

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